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古代日本の文化・政治の中心 京都市
京都市は京都府に位置する市です。
平安京が置かれ、当時は日本の文化、政治の中心として栄えました。皆さんも一度は修学旅行などで訪れたことがあると思います。ここには日本の歴史を知る上ではかかせない貴重な歴史的建造物が多く存在します。清水寺を始め、金閣寺、銀閣時や平等院鳳凰堂や伏見稲荷大社は定番ですね。
京都市で行われるお祭りは伝統的で日本の「和」を感じさせるものが数多く存在します。京都市で行われるお祭りでは、古代の人々の様子を伺うことができます。まるで古代にタイムスリップしたかのような感覚を味わうことができます。
歴史的建造物だけでなく、お祭りを見学したり、参加することでより日本の「和」を肌で感じることができるのではないでしょうか。
Newsweekより引用
葵祭りへ行って平安時代へタイムスリップ!
場所:賀茂御祖神社・賀茂別雷神社
巡行コース:上京区・御所~左京区・下鴨神社~北区・上賀茂神社
日時:5月15日
アクセス:御所:市営地下鉄「丸太町」駅すぐ
http://www.pref.kyoto.jp/gyoji/k01.html(京都府公式HP)
葵祭は、賀茂御祖神社と賀茂別雷神社の例祭で、古くは賀茂祭、または北の祭りとも称されており、祇園祭・時代祭・五山送り火と並ぶ京都の四大行事の一つとされています。
賀茂祭が葵祭と呼ばれるようになったのは、江戸時代に祭が再興されて後、当日の内裏宸殿の御簾をはじめ、牛車(御所車)や勅使、供奉者の衣冠、牛馬に至るまで、全てを葵の葉で飾るようになったことが由来と言われています。
平安中期の貴族の間では、「祭り」と言えば葵祭のことを指す程有名でありましたが、庶民の祭りである祇園祭に対して、賀茂氏と朝廷の行事として行われていたものを貴族たちがよく見物に訪れていたことから、貴族のお祭りと認識されるようになりました。
歴史が古く、伝統的なお祭りなんです!
平安時代以来には国家的な行事として行われてきた歴史があり、日本のお祭りのなかでも、数少ない王朝風俗の伝統が残されています。
京都御所から下鴨神社を経て上賀茂神社へ向かう、平安貴族の姿をそのまま再現した優雅な王朝行列を見ることが出来ます。
欽明天皇が即位していた567年は、風雨が激しかった為、五穀が実りませんでした。そこで当時賀茂の大神の崇敬者であった伊吉の若日子に占わせたところ、原因は賀茂の神々の祟りであると言うので、若日子は勅命を仰せ使い、4月の吉日に祭礼を行いました。
馬には鈴をかけ、人は猪頭(ししがしら)をかぶって駆競(かけくらべ)をしたところ、風雨は収まり、五穀は豊かに実って国民も安泰になったというのが、このお祭りの起源とされています。
これが伝えられ、後の819年には朝廷の律令制度として最も重要な恒例祭祀に準じて行うという国家行事になりました。
京都ツウ読本より引用
葵祭の見所は?
葵祭では、5月3日に流鏑馬神事、5月12日には御蔭祭・御阿礼神事と、様々な善儀が行われます。
中でも有名なものが3日に行われる流鏑馬神事で、糺の森(ただすのもり)の真ん中にある全長500mもある馬場を、公家風の装束姿や武家風の狩装束姿をした射手達が疾走する馬上から3つの的を射抜きます。
「流鏑馬」は「矢伏射馬」とも書かれることがあります。
馬を走らせ、不安定な場所から矢を射って的を抜くという高度な技術が必要とされる他、その迫力も相まって前儀の中でも特に人気のある行事です。
また、このお祭りは「宮中の儀」・「路頭の儀」・「社頭の儀」の3つから成っていますが、うち「宮中の儀」は現在では省かれ、行われていません。
暮らし歳時記より引用
平安貴族の様子を是非近くで見てみてください
美しい平安貴族の姿を再現した王朝行列や、勢いと迫力溢れる流鏑馬など、見所の多いお祭りです。
京都を代表する行事の一つなので、是非皆様も足を運んでみてください。
京都三大祭り
京都府『時代祭』
京都府『祇園祭』
※アイキャッチ画像は京都いいとこウェブより引用
(編集/千八乃)